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高野山「なな不思議」「言い伝え」一覧

高野山 言い伝え なな不思議
りえ
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高野山に伝わる不思議、言い伝えや豆知識をまとめました。
ガイドさんから聞く内容もあるかもしれませんのでネタバレが苦手な方はお気をつけください。
皆さんの観光のお役に立てれば嬉しく思います。

こうや七不思議

1
高野にハブなし

昔の高野山は大蛇のような毒蛇がいて参詣人を襲い食べていたそうです。
これを聞いた弘法大師は嘆き竹の箒で蛇を封じ込み再び竹の箒を使う時代になれば封じを解くと約束されたそうです。

2
高野に臼なし

豊臣秀吉公が割がゆを所望された時、高野山には米臼がなかったので米粒を包丁で二つに切って献上したそうです。豊臣秀吉公は米粒の切り口が見事なのに気が付き「山には臼がないのか?」と尋ねました。住職は「はい、女人禁制の山には杵は沢山ありますが臼は一つもありません」と答え機転をに満ちた対応に豊臣秀吉公は上機嫌だったとか。

3
姿見の井戸

奥の院の参道に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があります。右側にある小さな井戸をのぞき込んで自分の顔が映らなければ三年以内に死んでしまうと言われている。
(下に詳細あり)

4
高野の大雨

高野山は開創以来、魚肉を禁じられていたので肉食愛好の異国の方が来ると大師はお山を洗い清めたと言われている。また毎年、御影供の翌日は不浄を流し清めるために大雨が降るらしい。

5
玉川の魚

弘法大師は玉川で魚を獲り串に刺して焼いて食べようとしている山男を見かけ魚を買い取り魚を玉川に放流した。魚は泳ぎ始めたので山男は殺生の罪を悔い改め魚を獲る事をやめたそうです。魚の跡は串の跡と言われ今でも山内の人はこの魚を食べないそうです。

6
杖ヶ薮

弘法大師が京都からの帰り道に今まで杖に使われていた竹の棒をもういらないと道端に差し込んだそうです。その逆さまの竹の棒がやがて大きな竹藪になったそうです。

7
かくばんざか

奥の院参道の中の橋を渡ってすぐの石段は四二(死)を超えるという意味があるのか四三段になっている坂。途中で転ぶと三年持たないと言われている。別名:三年坂
(下に詳細あり)

奥の院にまつわる言い伝え

かずとりじぞうそん

数取地蔵尊

一の橋を渡ったすぐの左側にいます。

  • 「閻魔大王と繋がっており参拝者の顔と名前を覚えていて、参拝の数と共に閻魔大王に伝え罪を軽くしてくれる・来世に福を与えてくれる」と言われている。
  • 「数取地蔵は変ええる人数も数えていて来る人より帰る人の方が少ない事から毒蛇(または大蛇)が参拝者を襲っている事がわかり弘法大師に退治してもらった」と言い伝えられている。
  • 江戸時代中期の大阪の塗士が夢を見て数取地蔵が埋まっている場所がわかり掘り起こし現在の姿となる。

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大師の腰掛け石

武田信玄墓所の横にある。

「弘法大師が休憩のため腰をかけていた」と言い伝えられている。

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あけちみつひでのくようとう

明智光秀の供養塔

高野山 奥の院 供養塔

一の橋から約8分ほど歩いたところにある。

  • 修繕してもヒビが入る
  • 現在で3回目
  • 織田信長の怨念で壊れるのでは?と噂されている

安土桃山時代の武将。
本能寺の変で織田信長に謀反を起こす。
家臣の津田重久が高野山に逃れ追善供養を依頼し健立されたと言われる。
娘ヲモンも高野山に退避し長野の久田家に落ち延びる。(恵光院)

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かくばんざか

覚鑁坂

高野山 覚鑁坂 言い伝え

中の橋を過ぎた辺りから続く石の坂道。
「こうや七不思議」の一つ。

  • 本来は42段だったが「42」は「死に」とも言い換えられる事から一段足されて43段になったらしい。
  • 「43」は「42(死に)」を超えた数なので43段を登れたら私を乗り越えたことになり死後は極楽浄土に行き生まれ変わる事ができる。
  • 坂の途中で転ぶと「3年以内に命を落とす」と言われ別名「3年坂」とも呼ばれる。

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すがたみのいど

姿見の井戸

奥の院 姿見の井戸 言い伝え

中の橋を過ぎたあたりの石の坂道「覚鑁坂」の途中にある井戸。
弘法大師が掘ったと言われている。
「こうや七不思議」の一つ。

  • 井戸を覗き水面に「自分の顔が映らなければ3年以内に命を落とす」と言われている。
  • 夢に弘法大師が現れ「我が山の霊水を飲めば病は速やかに治る」と告げられた中納言がこの井戸水を飲むとたちまち痛みがなくなり井戸に「薬井(くすりい)」と名付けられる。
  • この井戸水を飲むと「身体全身の疲れが取れる」
  • この水で目を洗えばどんな眼病も治る。

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あせかきじぞう

汗かき地蔵

高野山 奥の院 汗かき地蔵 言い伝え

姿見の井戸となりにあります。

  • 「全ての人々の罪、苦行を代わりに受けて汗を流している」と言い伝えられている。
  • 9時〜11時くらいに汗をかくと言われている。

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かんがけさくら

棺掛桜

汗かき地蔵の左手にある。

  • 嵯峨天皇が崩御し京都嵯峨野に御棺を安置すると棺の一部が飛んでいき高野山の桜の木の枝に引っかかった
  • 嵯峨天皇の棺を安置すると高野山から天人が輿とともに降りてきて棺を壇上伽藍近くの山頂に奉安。弘法大師は天皇を荼毘に付しお骨を覚鑁坂の西に納めこの桜の木を植えた。

と言い伝えられている。

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ぜんにじょうちひ

あの音が聞ける「禅尼上智碑」

高野山 奥の院 禅尼上智碑

覚鑁坂の途中にあります。
和歌山県指定史跡。

石碑の正面のくぼみに耳を当てると「地獄の釜の音・叫び声」「極楽浄土の音」が聞こえると言われている。

正面上部に地蔵菩薩を表す梵字「力」が刻まれ、下のくぼみには当初は地蔵菩薩像があり地蔵菩薩は閻魔王の本地仏のため地獄の声が聞こえると伝承された。

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玉川の魚

高野山の霊峰と言われる楊柳山頂付近から流れる清流を「玉川」と言う。
奥の院に流れている川。
水行も行われている。

ある山男が玉川で獲った魚を串に刺して食べようとしていた時にそれを見た弘法大師は山男から魚を買い取りまるで生きている魚を扱うように串から外して川へ逃したそうです。
驚くことに魚は息を吹き返し川を泳いで行った。
それ以来、玉川の魚の背中には串を刺した跡のような小さな黒い模様が付いているそうです。
山男は殺生の罪を悔い改め魚を獲ることをやめたそうです。

今でも山内の人は魚を獲って食べることはしないそうです。

みろくいし

願いが成就する「弥勒石」

御廟橋を渡り少し進んだ左側にある御堂の中にある。
一箇所だけ腕が入る場所があり「みろく石」(重軽石おもかるいし)に触れる事ができる。
(御廟橋から先は写真撮影禁止)

  • 「みろく石を片手で持ち上げて上段に置く事ができたら願いが成就する」と伝えられている。
  • 男性は左手、女性は右手で持ち上げ上段へ投げる?ようです。
  • 「重いと感じた人」は悪に染まってきている
  • 「軽いと感じた人」は心が清浄な状態を保っている、と言われている。
  • 兎率天(とそつてん)という弥勒菩薩が住む浄土から落ちてきた石
  • 本来は「撫でることで弥勒菩薩の御利益がある」と言われている。

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病気を治してくれる「笠地蔵」

御廟橋を渡り弥勒石の先左手にいます。
(写真撮影禁止)

別名:瞑目大師
道端の地蔵に笠を掛けてあげるとやがて地蔵様の恩返しを受けるという「善因善果」のシンボル。

  • 病人の願いを叶えてくれる
  • 「自分の患部をさすってからお地蔵様の同じ場所をさすると病気が治る」と信じられている
  • 願いが叶ったらお礼に笠を供える

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あじみじぞうそん

今でいうシェフ「嘗試地蔵尊」

高野山 奥の院 嘗試地蔵

御廟橋の手前右あたりにいます。

  • 弘法大師空海の1日に2度の食事(生身供)は嘗試地蔵に供えてから(毒味の儀式)燈籠堂に運ばれる。
  • 「元々は弘法大師の食事(生身供)の世話をしていた弟子2人を祀られていたもの」と言われている。

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1000年消えない灯

第2灯籠堂の中に2つある。
(写真撮影禁止)

  • 貧女の一燈
    お照という貧しい少女が自分の黒髪を売って養父母の菩提を弔うために献じた灯籠
    お照の供養塔は丹生都比売神社の近くにある。
  • 白河燈
    白河上皇が献じる。
    30万燈を献じたと記録があり別名「長者の万燈」

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つめほりじぞうそん

空海が彫った「爪彫地蔵尊」

岩に地蔵の姿がいます。

「弘法大師空海が自らの爪で彫った」と言い伝えられている。

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みがわりじぞうそん

感謝「身代わり地蔵尊」

別名:頬截地蔵・頬切り地蔵

  • 右の頬に切り傷があり「人の身代わりになって頬を切られた」
  • 「人々の苦しみ、痛みを全て地蔵尊が代わって受け止めてくれている」

と言い伝えられている。

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おけしょうじぞうそん

人気者「お化粧地蔵尊」

中の橋と御廟橋の中間あたり、芭蕉句碑近くにいます。
実は真のお姿は弘法大師空海だそうです。

  • 「このお地蔵様にお化粧をすると美人になる」と言い伝えられている。

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しょうみょうじぞうそん

虫歯に「声明地蔵尊」

別名:楊枝地地蔵尊・歯痛地蔵尊・声出地蔵尊

  • 虫歯や歯が抜けると声が出にくくなり密教の声明を唱えられないと困るのでお参りしたそうです。
  • 「歯痛が治る」と言われているとか。

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壇上伽藍にまつわる言い伝え

ろっかくきょうぞう

読んだ事になる「六角経蔵」

高野山 壇上伽藍 六角経蔵

鳥羽天皇の皇后だった美福門院が天皇の菩提を祈るために浄写された一切経を収めるために建てられた。
別名:荒川経蔵

  • 把手があり一周まわすことができる。
  • 「ひと回りすると一切経を一通り読んだ時と同じ徳を得られる」と言われている。

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さんこのまつ

三鈷の松

高野山 壇上伽藍 三鈷の松

壇上伽藍の御影堂と金堂の間にある松の木。
弘法大師が唐から帰国時に投げた三鈷杵が高野山の松の木にかかっていて高野山を真言密教の道場の場と決めたという。

  • 「三鈷の松の葉をお財布に入れていると金運に恵まれる」
  • 「バッグにお守りとして持つと交通安全・旅行安全の御利益がある」
  • 通常の松の葉は2本だが三鈷の松は法具の三鈷杵のように3葉になっており弘法大師の御利益が強い。

と言われている。

※持ち帰る場合は落ちた葉のみ

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大塔の鐘

別名:高野四郎
日本で4番目に大きな鐘。
壇上伽藍の鐘楼堂にある。
毎日5回(4時、13時、18時、21時、23時)鐘の音は1日で合計108回になる。

  • 23時の鐘は後夜の鐘と言い、この時間には明神様が悪魔を降伏するために矢を放つと言い、鐘が鳴った時に外を出歩いていると必ず息を潜めて身を平伏していないといけない。怠ると神罰が下りその矢に当たり命を落とす。
  • 傲慢横柄な者がよくこの矢に当たる。

という昔の伝説がある。

とうてんのまつ・しゃくしのしば

登天の松・杓子の芝

六角経蔵の裏手あたりにある。
別名:三会暁松

  • 壇上伽藍の僧、如法上人が臨終の際に弥勒菩薩と縁を結び松の木の先から兜率天(天界の一つ)に昇天されたとされる。
    その際に靴片方を落としてしまい明王院の松の木に引っかかった(クツカケの松)
  • 弟子の小如法は慌てて手に杓子(しゃもじ)を持ったまま追いかけ昇天し途中で杓子を落としてしまう。松の木の根元に落ち芝生が生えてきた。

と言い伝えられている。

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さかさしのふじ

逆指しの藤

壇上伽藍、御影堂のあたりにある。
見頃は5月中頃

平安時代の高僧、持経上人は荒廃した高野山を悲しみ再興を誓い「願掛け」として藤を逆さに植える。しばらくすると藤は芽生え始め高野山も再興の兆しが見え始める。持経上人は高野山再興の功労者であり弘法大師の生まれ変わりとして多くの人から慕われた、と言い伝えられています。

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高野山の色々な言い伝え

クツカケの松

明王院にある松の言い伝え。

壇上伽藍の登天の松と繋がり、如法上人が昇天する際に靴片方を落としてしまい明王院の松の木に引っかかった。

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豊臣秀吉も愛でた「傘桜」

清浄心院さんにある桜。
高野山で一番有名な桜の名所。
別名:大閤桜

  • 満開時の形が傘に似ている事から「傘桜」と言われる。
  • 豊臣秀吉が母の法要を執り行った時に花見を催し傘桜の事を歌に詠んだと言われている。

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かるかや餅の語源「石童丸物語」

日本で有名な説教節の一つ。
苅萱道心と息子石堂丸の哀話。

絵で物語を読みまわることができる。

苅萱堂は苅萱道心と石童丸が30年にわたり修行した場所とされる。

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50歳。バツなし独身。仕事は美容系のフリーランス。色々あるけれど楽しく心地良く過ごす事を全力で楽しむ日々。笑う門には福来たる。
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